天正3年(1575年)香西佳清によって築かれた。 香西氏は長宗我部氏の讃岐侵攻に備えて藤尾城の築城を開始し、天正5年(1577年)には佐料城から移ったという。
天正10年(1581年)長宗我部氏の侵攻にさいして開城、その後、羽柴秀吉の四国征伐の後には廃城となった。
藤尾城は香西小学校の北にある比高20m程の独立丘陵に築かれており、現在は宇佐八幡神社の境内となっている。
小山は宇佐八幡宮、香西神社などの境内となっており、山頂部と西に大きな平段があり、東や南は急峻である。藤尾城は平山城で、周囲を走る五角形の道路が概ね城域であったようである。
南の参道入口に駐車場や案内板がある。
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