伊予 鷹取山城いよ たかとりさんじょう

城郭放浪記


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伊予 鷹取山城の写真
掲載写真数
形態
山城(314m/110m)
別 名
なし
文化財指定
なし
遺 構
石積,土塁,曲輪,堀切
城 主
正岡氏
縄張図
鷹取山城縄張図
歴 史

築城年代は定かではない。城主は正岡紀伊守経長で龍岡城主正岡氏の分家であった。

正岡氏は一時湯築城主河野氏に叛いたため、河野氏の命によって明神山城主重見氏、来島城主来島氏によって攻められ降伏して赦されている。

天正13年(1585年)豊臣秀吉による四国征伐で小早川隆景の軍勢に攻められ落城した。

説 明

鷹取山城は標高314mほどの山に築かれている。

主郭は山頂にあり、西に大きく降った所に曲輪ii、南に大きく降った所に曲輪iiiと三つの曲輪で構成されている。

主郭は矢竹が群生しているが、中央付近に鷹取山城の石碑が建立されている。これは正岡氏の重臣であった清水氏の子孫によるものである。矢竹が群生しているため詳細に調べられていないが、南端、北端、北西端の三箇所に高さ1mほどの石積が確認できる。

主郭から西へ大きく下ると二条の堀切が確認できる。堀切1は箱堀状で二郭側のほうが切岸が高い。堀切2は岩盤を削っており竪堀として南へ大きく落ちている。曲輪iiは堀切1に面して土塁を設けており、城内で最も広い曲輪である。曲輪iiから西下へ下ると切通道となった堀状地形のある鞍部に至るが、ここより西のピークに遺構はない。

主郭の北尾根は細尾根で降りきったところに堀切3を設けている。主郭から南へ下ると堀切4、堀切5を経て曲輪iiiに至る。曲輪iiは南北両端に土塁を設け、南は切岸からやや離れた位置に堀切6を設けている。

案 内

南西側に車道があり、そこからさらに舗装林道が分岐して古谷のほうに続いている。登山道は南東の尾根から尾根道で登るか、南から鞍部に登る山道を使うことができる。車はところどころ余白があるので駐車可能である。

最寄り駅(直線距離)
4.7km 伊予富田駅
5.4km 伊予桜井駅
6.9km 今治駅
8.3km 大西駅
9.6km 伊予三芳駅
所在地/地図
愛媛県今治市古谷
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
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最終訪問日
2020年4月
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