築城年代は定かではない。鎌倉時代に長井斎藤景忠によって築かれたとも云われる。 景忠は伊予国守護佐々木三郎盛綱の重臣で守護代を務めていた。
永禄5年(1562年)には武田近江守信勝の居城であったが、天正10年(1582年)来島通総に攻められ落城した。
一説には象ヶ森城主櫛部出雲守兼氏の隠居城となっていたともいわれる。
龍門山城は朝倉ダムの東にある標高438.9mの龍門山山頂に築かれている。
主郭は山頂にあり東西に長く、東下に小段がある。中央南側に凹みがあり、これが案内板にある井戸跡と思われる。石垣があるというが、列石程度のものは確認できたがわからず。
山頂から東下に降りた端にやや広い曲輪があり、そこから南へ伸びた尾根に三段の曲輪がある。北へ伸びた尾根には二条の堀切がある。
南へ続く尾根は先端で南西と東へ分かれるが、その部分にもやや平坦な広い地形がある。この辺りは城域かどうかは判別しづらく、ここに至る南西の道沿いに両側を切り落としたような地形も残っている。
案内板はダムの西側の公園にあり、ダムに至る途中には龍門山城主武田信勝の墓所がある。
朝倉ダムを目指す。ダムへは道標が至る所にあるので迷わず来ることができる。登山口はここから黒谷集落を経て大明神池に抜ける山道の峠の所(地図)にあり、駐車するスペースもある。登山道は踏み跡はしっかりしているものの笹藪が深い場所が一部ある。
最寄り駅(直線距離)