『伊予古城砦記』では旦之上功三郎を城主とする。『伊予温故録』では旦之上功三郎吉弘、後に広岡阿曽岡の城に移る。一説に桑原出雲坊宗方の長男清利の三男を旦之上小三郎清高といふ、当城主なり。とする。
大黒山城は大明神池の西にそびえる三角点のある標高392.6mの峰に築かれている。地図によってまちまちではあるが、「大黒山」と呼ばれる山は東の322mの峰でここは劣化した花崗岩の険峻な峰で遺構はない。
大黒山城は三角点のあるピークを主郭とし、北東に続く尾根にところどころ削平地らしきものが見られるが、主郭を含め加工度は低く、ほぼ険峻な地形をそのまま利用したような山城で、どの辺りまでが城域となるかも含め検討が難しい。
主郭は南北に長く、尾根続きを除いて急坂となる。西、南東、北西、北東と尾根が続くが堀切などは見当たらない。大黒山に続く北東尾根には若干削平したような曲輪IIと曲輪IIIがあり、大黒山向かって下る山道には石積も確認できるが、遺構とはみなし難い。
登山道は大きく二つあるが、竜門山城への登山口のある北側の峠から登る道が簡単である。入口は峠の西端にあり、ピンクリボンがつけてある。ここからしっかりした山道が山頂経由で大黒山のほうまで続いている。
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