天智2年(663年)に唐・新羅軍と対峙した日本と百済の連合軍は白村江の戦いにおいて大敗した。大陸からの侵攻に備えて築いた古代山城(朝鮮式山城)が西日本に多数築かれ、永納山城もその一つとみられているが、文献には出てこない。
永納山城は標高132.4mの永納山と医王山を取り囲むように城壁が巡らされ、その全長は2.5kmに及ぶという。西側には南北朝時代の世田山城・笠松山城がある。
昭和52年に発見されたこの古代山城は、それ以降徐々に調査され現在もなお継続中のようである。西の登山口から永納山山頂を経て東の登山口に至る山道が整備されており、これを利用するのが見学コースとなっている。西側一帯は尾根上で土塁といった感じはあまり受けないが、北東側の尾根部分は土塁の下部に列石が露出しており、古代山城の遺構を見学することができる。
国道196号線から県道159号線に入って南下し世田薬師栴檀寺を目指す。 栴檀寺から道路を挟んだ反対側に山裾を東に入っている道があり、入口の所に案内板が設置されている。この奥に山に登る道がある。
列石は東側の入口(地図)から入ってすぐの場所にある。
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