築城年代は定かではないが承久3年(1221年)得能通俊によって築かれたと云われる。 通俊は河野通信の子で桑村郡得能荘を所領として得能氏を称した。
南北朝時代の徳能通綱は南朝方として各地で戦ったが、越前国金ヶ崎城で討死している。
徳能城は徳能集落の西に聳える比高40mほどの常石山に築かれている。
主郭とされる山頂部は整備され、陸軍大将秋山好古書の得能通綱忠魂碑が建てられているが、切岸などこれといった遺構らしきものは見当たらない。
常石山への道標が出ており車道は主郭まで通じているが、道が狭く急坂もある。なんとか登っていったが、最後の最後に立ち木があって狭くて普通車では主郭まで行けない。
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