築城年代は定かではないが河野氏によって築かれたと云われる。
康永2年・興国4年(1343年)讃岐の細川頼春が伊予の南朝方を討った時、耳金城も攻め落とされた。
康暦元年・天授5年(1379年)細川頼之が大軍を率いて伊予に侵攻し再び耳金城を攻め落とすが、翌年河野氏の所領に戻り、後に田中通澄の居城となったという。
城は兼久池の北にある西から東へ伸びた丘陵に築かれている。
現在は丹原総合公園として開発されて、その中の「耳金砦遊戯広場」となり児童公園となっている。この児童公園の部分は大きく削られてしまったようであるが、周囲は城壁と思わせる壁が巡らされている。
手持の縄張図では、この遊戯広場の南の頂部と東の頂部にも削平地があったようであるが、ここも遊歩道や広場が建設されている。