築城年代は定かではないが加藤嘉明によって築かれた。
関ヶ原合戦の後、松前城主加藤嘉明と宇和島城主藤堂高虎はともに伊予国にて加増をされたが、これによって互いの領地が複雑に入り組む結果となった。加藤嘉明と藤堂高虎は犬猿の仲であったといい、藤堂高虎はわずかな領地しかない今治の地に今治城を築くと、それに対抗して加藤嘉明も拝志城を築いたという。
拝志城には加藤嘉明の弟加藤内記が城代を務めていたが、慶長9年(1604年)の拝志騒動によってその責任を問われ、剃髪して京都の嵯峨東福寺に入った。
拝志城は現在「ワールドプラザ」というショッピングモールとなっている。
拝志城は単郭の平城であったと考えられており、ショッピングモールの周りにわずかに残る水路が堀の名残りのようである。