元和2年(1616年)本多正純によって築かれたと云われる。 本多正純は徳川家康の重臣として知られる本多正信の嫡男で、自身も徳川家康に仕えて頭角を現し、慶長13年(1608年)には小山藩三万三千石を領した。
元和2年(1616年)二万石を加増されて五万三千石となり、佐野に築いた陣屋が吉水陣屋で中世の興聖寺城の一角に築かれていた。
元和5年(1619年)には宇都宮藩十五万五千石に加増転封となったが、元和8年(1622年)正純はいわゆる宇都宮釣り天井事件によって改易となった。この吉水陣屋は元和8年、あるいは元和5年に廃城となっている。
吉水陣屋は新吉水第一公園の辺りに築かれていたという。 公園の中に大正時代に建てられた吉水城の石碑があり、その近くにはl字になった土塁のような土盛りが残されているが、これが陣屋の遺構なのかどうかはわからないようである。