下野 鐙塚阿曽沼城しもつけ あぶづかあそぬまじょう
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文明3年(1471年)阿曽沼弾正によって築かれた。
阿曽沼弾正は足利成氏に仕えていたが、孫の阿曽沼左京太夫は佐野氏に仕えた。 豊臣秀吉の小田原北条攻めによって佐野氏の本流は改易となり、阿曽沼氏も滅亡した。
鐙塚阿曽沼城は星宮神社がある「あぶづか公園」の東側のあたりに築かれていたと云われるが、工業団地造成にともなって遺構は消滅しており、はっきりした位置はわかっていない。