下野 興聖寺城しもつけ こうしょうじじょう
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安貞2年(1228年)佐野国綱が岩崎義基の為に築いたと云われるが定かではない。 その後岩崎氏の居城として代々続くが永正年間(1504〜1521年)に岩崎左馬助重長が岩崎城へ移り、佐野秀綱の居城となった。
廃城年代は定かではないが、慶長19年(1614年)佐野氏が改易となった頃と考えられている。
現在の興聖寺が本丸跡で四方に土塁と濠が残っている。城は複郭の平城で、古地図によれば本丸の他、北二の丸、南二の丸、三の丸があり、侍屋敷もあったという。