永禄3年(1560年)福地寧久によって築かれたと云われる。 福地氏は丹波国福知山城主で九代福知輝久の時に下野に下向して福地と名乗り、十六代丹波守仲久の時に唐沢山城主佐野盛綱の客将となったという。
二十代寧久の時に唐沢山城の支城として椿田城を築いて以後代々の居城となり、慶長19年(1614年)佐野氏が改易となると廃城となり帰農したという。
城跡には現在も子孫の方が住んでおり、屋敷の周囲に土塁と濠が残る。
県道7号線から国道50号線佐野バイパス入口を目指して北上すると、バイパス入口の手前に椿田城への道標がある。
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