築城年代は定かではない。 永禄年間(1558年〜1570年)頃の城主は館林城主赤井山城守の家老川島宗満である。 宗満の長子勘助は徳川家康に従って関ヶ原合戦で討死し、家督は二男勘左衛門が相続して後に帰農し江戸時代は名主として続いたと云う。
川島氏は福井県鯖江市川島の発祥といい、南北朝時代に新田義興に従った河島維宗の子維貞が赤井氏に仕えたのが始まりとされる。越前国川島城主河島惟頼の関係者であろうか。
城は方形居館で、「堀の内」と称する中央の曲輪は周囲に土塁と濠が巡っている。 鬼門にあたる北東隅部は角を削ぎ落とした隅落としで、土塁上に摩利支天を祀っている。 北側に架かる土橋は近世に土塁を崩して埋めたもので当時の遺構ではない。
現在でも子孫の方が住んでおられる。たまたま在宅中であった当主に雨にも係わらず周囲を案内して頂くことができ、興味深い話を色々伺うことができて、非常にありがたく思う。個人宅ではあるが、お気軽にお訪ね下さいとのことであった。