築城年代は定かではないが天文年間(1532年〜1555年)はじめ頃に広田式部大輔直繋によって築かれたと云われる。
古河公方に従っていた広田直繁、木戸忠朝らが守っていたが、永禄年間(1558年〜1570年)に上杉謙信が関東に入るとそれに従った。謙信が越後に戻ると小田原北条氏と戦ったが、天正2年(1574年)に落城し、木戸忠朝らは上野国膳城に引き上げた。その後、北条氏の家臣となっていた忍城の成田氏長が羽生城を管理し、成田長親が城代となった。天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で、羽生城は破棄され忍城に籠城してこれを迎え撃った。
天正18年(1590年)徳川家康が関東に入部すると重臣大久保忠隣が二万石で羽生城主となり、父忠世が没すると家督を継いで小田原城主となったが、羽生の領地も維持された。しかし慶長19年(1614年)大久保忠隣は改易となり、羽生城も破棄された。
羽生城は現在宅地や田畑となっており詳しい状況はわからないが、古城天満宮のあるところが天神郭である。天満宮の入口に石碑や案内板が設置されている。