築城年代は定かではない。 康正元年(1455年)足利成氏が山内上杉氏の家臣長尾景仲の籠る騎西城を攻め落とした。 その後、小田顕家が種垂城から移り、忍城主成田親泰の子朝真を養子に迎え隠居した。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の後に関東に入部した徳川家康は二万石で(松井)松平康重を置いた。 慶長6年(1601年)康重が常陸国笠間城に転封となると、相模国小田原藩主大久保忠隣の嫡男忠常が二万石で入封する。 慶長16年(1611年)忠職はわずか8歳で跡を継ぐが、祖父大久保忠隣が罪に問われると、蟄居となった。 忠職は後に許され、寛永9年(1632年)美濃国加納城に移封となり廃城となった。
模擬天守(模擬 天守)