築城年代は定かではないが平安時代末期に清久氏によって築かれたと云われる。 清久氏は藤原北家秀郷流の後裔で大河戸行方(重行とも)の二男次郎秀行が清久郷を領して清久氏の祖となった。
建久元年(1190年)源頼朝が上洛したときには、長男大河戸太郎広行、二男清久次郎秀行、三男高柳三郎行元、四男葛浜四郎行平の四兄弟が揃って行列した。 元弘3年(1333年)鎌倉幕府が滅亡すると、清久氏もこの地から姿を消したという。
清久氏館は現在の常徳院・白幡雷電神社一帯に築かれていたと云われる。 境内一帯は周囲より一段高い微高地で、東側の道路付近がかつては堀跡であったという。 たまたま声をかけて頂いた若いお坊さんと話をする機会に恵まれ、お寺に伝わるお宝を色々と見せて頂き、清久氏との関係についても色々と聞かせて頂いた。内容については「埼玉の城址めぐり」に多く掲載されているで割愛する。