永正15年(1518年)足利政氏によって築かれたと云われる。 足利政氏は足利成氏の嫡男で二代目古河公方である。
永正3年(1506年)頃から政氏と嫡男高基は対立しはじめ、いったんは和解となったが永正10年(1513年)に上杉顕定の後継者問題で再び対立し、政氏は下総国古河城を出て下野国小山城主小山成長を頼った。しかし、永正13年(1516年)頃になると高基を支持する小山政長の影響で小山氏も高基に味方するようになり、政氏も隠居を余儀なくされ、この久喜の館へ移ったという。
永正16年(1519年)に永安山甘棠院を建立し、開山は政氏の子貞巌和尚である。 永正17年(1520年)政氏は古河城の足利高基を訪ねて和解し、享禄4年(1531年)にこの地で没した。
足利政氏館は現在も甘棠院の境内となっている。 甘棠院の境内を囲むように東側を除く三方に堀が残り、北側には土塁も残っているという。 境内には足利政氏の五輪塔も残り、ともに県指定史跡となっている。