元久2年(1202年)笠間時朝によって築かれたと云われる。 笠間氏は常陸国茨城郡笠間発祥で、下野国宇都宮氏の支流塩谷朝業の次男時朝が笠間に住み、笠間氏を名乗ったことに始まる。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で、笠間綱家は宗家の意に反して小田原北条氏に味方した為、秀吉は宇都宮国綱に命じて笠間氏を滅ぼした。 その後、宇都宮氏の支配下に置かれたが慶長2年(1597年)宇都宮氏が改易となった後は、下野国宇都宮に入封した蒲生氏郷の家老蒲生氏成が三万石で笠間に入封した。
・慶長6年(1601年)武蔵国私市より(松井)松平康重が三万石で入封、慶長13年(1608年)丹波国篠山へ転封。
・慶長13年(1608年)下総国佐倉より小笠原吉次が三万石で入封、慶長14年(1609年)改易。
・慶長17年(1612年)下総国古河より(戸田)松平康長が三万石で入封、元和2年(1616年)上野国高崎へ転封。
・元和3年(1617年)上野国小幡より永井直勝が三万二千石で入封、元和8年(1622年)下総国古河に転封。
・元和8年(1622年)常陸国真壁より浅野長重が五万三千石で入封、正保2年(1645年)長直の時、播磨国赤穂に転封。
・正保2年(1645年)遠江国横須賀より井上正利が五万石で入封、元禄5年(1692年)正任の時、美濃国八幡に転封。
・元禄5年(1692年)下野国足利より(本庄)松平宗資が四万石で入封、元禄15年(1702年)資俊の時、遠江国浜松へ転封。
・元禄15年(1702年)常陸国下館より井上正岑が五万石で入封、延享4年(1747年)正経の時、陸奥国磐城平へ転封。
・延享4年(1747年)日向国延岡より牧野貞通が八万石で入封、以後明治に至る。
八幡櫓(移築 櫓)
城門(移築 城門)
城門(移築 城門)