築城年代は定かではないが南北朝時代に上杉朝宗によって築かれたと云われる。
難台山城へ楯籠もった若犬丸を擁する南朝方の残党を攻めた上杉朝宗であったが、これを容易に落とすことができず、館岸城を築いて陣を張り長期戦となった。
館岸城は標高256mの館岸山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
館岸城は山頂の主郭から南西にある小さな二郭、そして巨大な三郭からなる山城である。
主郭は山頂の曲輪とされるが、この部分は小さな削平地と北尾根に設けられた堀切があるのみで、南西にある二郭とはほぼ自然地形の尾根で繋がる。二郭も小さな曲輪で切岸が巡り、東下は浅い堀切となる。
この城の最大の特徴は巨大な三郭で、北は標高200m付近、南は標高160m付近で高い切岸が周囲を取り囲み、切岸には一部土塁が付く。内部は北端最高所に広い削平地が二段ほどあり、南に小さな帯曲輪状の段曲輪が連なる。そして中央最下部が水場とされる池となり、水門のような物がある。
北尾根には巨大な二重空堀があり、内側には仕切り土塁が残されている。また切岸下は帯曲輪状の緩斜面であるが、幅広く、横堀であった可能性も考えられる。
現状の遺構から見て、主郭となるのは三郭であるが、とても南北朝期の遺構には見えない。しかし山頂部の曲輪や二郭は南北朝期としても問題ないように思う。
登山口は南の西寺地区にあり、道標が随所にある。駐車場はないが南の県道に広い余白があり駐車可能である。
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