建仁3年(1203年)宍戸氏によって築かれたと云われる。 宍戸氏の本城である宍戸城の支城として長兎路城と湯崎住吉城が築かれたという。
湯崎住吉城は涸沼川に面した台地の南端に築かれている。
本覚寺の南側にあり、北の虎口脇に湯崎城本郭跡の石碑が建っている。わざわざ本郭と書いてあることから複郭であったものと思われるが、現存する遺構は単郭である。ただこの曲輪が広大で南北でも150m程はあろうか。
北の入口は空堀に土橋が架かっており、曲輪内に果樹園があることから車が入れる規模になっている。ここが元々虎口であったことは、東側に櫓台のような横矢の張り出しが残ることから間違いないようである。この北へ張り出した部分は外側が土塁で囲まれており、これは一般的なのだが、曲輪側にも土塁が付いており、この張り出し部分は四方に土塁が付いた土壇となっている。おそらく大きな櫓台であったと思われる。
本覚寺が目印。お寺の東側の道を南へ進むと神社があるが、その手前に東へ入る道があり、工場になっている。ここが入口。
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