築城年代は定かではないが元中年間(1384年〜1392年)に江戸通重によって築かれたと云われる。
室町将軍足利義満は難台山城で討死した江戸通高の功によって、河和田、鯉淵、赤尾関の地を通高の子江戸通景に与えた。通高の二男江戸彦次郎通重は鯉淵城を築き、鯉淵氏を称した。
鯉淵城は古矢川に面した台地の上に築かれている。 鯉淵城の遺構は宅地化によって失われつつあり、現在は二ヶ所に遺構が確認できる。
その一つが県道30号線沿い鹿嶋神社の東側にある国指定重要文化財中崎家住宅の背後にある。この中崎家は藤原左京を初代として続いている家系だというが、この家の背後に方形居館の残存と思われる方形区画の堀と土塁の遺構が残る。
もう一つが、鯉淵郵便局の北東にある根小屋集落の中にあり、民家の北側に東西に伸びた空堀と土塁の遺構がある。