承安2年(1172年)真壁長幹によって築かれたと云われる。 真壁氏は大掾氏の支流で多気直幹の四男長幹が常陸国真壁郡真壁郷を領して真壁氏を名乗ったことに始まる。
真壁氏は初代長幹以後400年余り真壁城を居城として続くが、小田氏・江戸氏・結城氏など諸豪族の狭間にあって領地の維持に奔走している。戦国時代になると常陸国守護佐竹氏が国内統一へ向けて勢力を拡大し、また小田原北条氏が関東へ進出するなど巨大勢力が迫る中、真壁久幹は長男に北条氏政より氏の字受け氏幹、次男には佐竹義昭より義の字を受け義幹と名乗らせている。最終的には佐竹氏に属し、関ヶ原合戦後佐竹氏に従って出羽国秋田へ移り出羽国角館城へと移った。
浅野長政が五万石で入封し長重が継いだが、元和8年(1622年)笠間へ転封となり、寛永元年(1624年)には稲葉正勝が一万石で入封したが、正勝は寛永5年(1628年)に下野国真岡を継ぎ廃藩となり、その後は天領となって廃城となった。
真壁城は南朝方の関東六城(常陸国関城・常陸国真壁城・常陸国大宝城・常陸国伊佐城・常陸国中郡城・下野国西明寺城)の一つに数えられる。
城はきのこ山から西へ派生した丘陵地帯に築かれており、桜川に面した平地よりやや微高地に存在する。
本丸には現在体育館が建てられており、本丸から東へ二の丸・中城と続いているが、ここも開墾され農地となっていたようである。現在は国指定史跡となって公園化が進められており、土塁や堀の復元工事中のようである。
城門(移築 城門)
公園化によってどのように変化するのかわからないが、現時点では真壁第1体育館の駐車場から公園に入るのが一番わかりやすい。
最寄り駅(直線距離)