出羽 角館城でわ かくのだてじょう

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (出羽国/秋田県) > 角館城
Tweet
出羽 角館城の写真
掲載写真数
形態
山城(166m/100m)
別 名
小松山城
文化財指定
なし/不明
遺 構
郭,堀
城 主
戸沢氏,葦名氏,佐竹北家
歴 史

築城年代は定かではない。

応永30年(1423年)角館能登守利邦が小野寺氏に通じて謀反を起こしたため、門屋城主戸沢家盛に攻められ落城、応永31年(1424年)家盛は居城を門屋城より移し、以後代々戸沢氏の居城となったという。

戸沢氏は小野寺氏や安東氏(秋田氏)などと戦って勢力を維持し、天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐に参陣して本領を安堵され、同年藤田信吉による検地が行われ四万四千三百五十石余となった。

慶長6年(1601年)関ヶ原合戦では東軍に属して上杉氏を攻撃した。戸沢氏は慶長7年(1602年)常陸国小河城に四万石で転封、慶長11年(1606年)常陸国松岡へ移り、元和8年(1622年)出羽国新庄へ移り明治まで続いている。

戸沢氏が角館を去ると秋田へ入部した佐竹氏の家臣葦名盛重(義広)が常陸国江戸崎より一万五千石で入部し角館城主となったが、元和6年(1620年)一国一城令によって廃城となった。 葦名氏は三代で断絶し、明暦2年(1656年)佐竹北家の佐竹義隣が出羽国紫島城より角館に入り、「みちのくの小京都」と呼ばれる町並みを整備した。

説 明

城は角館の町の北にある古城山に築かれている。本丸と思われる山頂の広大な平地に石碑が建てられているが、整備されているのはこの部分のみで、駐車場から登山道を登ってきたが荒れ放題である。

角館は「みちのくの小京都」と呼ばれ、今でも武家屋敷が列び一部公開されている。

案 内
最寄り駅(直線距離)
1.8km 角館駅
2.5km 羽後太田駅
3.4km 生田駅
4.2km 鶯野駅
5.2km 西明寺駅
所在地/地図
秋田県仙北市角館町岩瀬字古城山
付近の城(直線距離)
5.4km 出羽 白岩城
6.3km 出羽 十六沢城
6.4km 出羽 大野関城
6.5km 出羽 古堀田城
6.6km 出羽 門屋城
7.3km 出羽 紫島城
7.5km 出羽 小山田城
7.9km 出羽 伊勢ノ腰館
8.7km 出羽 佐曽田城
8.8km 出羽 八乙女城
9.2km 出羽 樺坂城
9.8km 出羽 大森城(協和町)
最終訪問日
2009年9月
TOP > > (出羽国/秋田県) > 角館城