築城年代は定かではない。中世初期の城主は藤原信有の家臣宮藤氏、ついで平姓下田氏で後に白岩氏を名乗る。南北朝時代以降戸沢氏と婚姻、対立があって戸沢氏の家臣となったという。
戦国時代には戸沢家の家老・宿老の位置を占め、天正14年(1586年)小野寺領沼館の合戦、天正15年(1587年)唐松合戦に戸沢氏方として参陣した。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の命によって廃城となった戸沢三十五城の一つ。
城は東の山塊から西へ張り出した山の頂部に築かれており、山頂には現在古城神社が祀られている。
主郭は古城神社が祀られている所と思われ、東側の尾根を堀切で断ち、南西に伸びる尾根に広い削平地を数段配している。段差は概ね1m程度で低い土塁が所々に見られる。南西側の中腹にも広い削平地が残る。
大手は南にあったといい、居館と思われる平城(大部分が消滅)も南西側にあったという。現在古城神社への参道が南西側にあることから、これが従来の大手だったと思われる。
南西麓に古城神社への参道がある。麓を通る道沿いに館山橋があり、その付近に駐車場がある。
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