築城年代は定かではない。
戦国時代に紫島氏の居館があった地とされ、慶長7年(1602年)佐竹氏の秋田入部に際して佐竹北家義廉が紫島城を居城とした。
慶長19年(1614年)大坂冬の陣へ向かう途中義廉は遠江掛川で病没したため、佐竹義宣の弟義直が北家の家督を相続した。その後義直は実兄で本家の佐竹義宣の嫡子に迎えられたため、北家は一時断絶となったが、寛永5年(1628年)義隣が北家を再興させた。
明暦2年(1656年)佐竹北家義隣は断絶した葦名氏に変わって角館へ移った。
紫島城は羽後長野駅の南方、中仙支所の南西にある字紫嶋一帯に築かれていたという。
現在は宅地や田畑となって遺構はなく、南側の水路に面したところに標柱があるのみである。