築城年代は定かではないが土岐氏によって築かれたと云われる。 土岐氏は美濃国守護職土岐氏の一族で、嘉慶元年(1387年)頃に土岐秀成が山内上杉氏の被官としてこの地に入っている。
戦国時代には小田氏などと争っていた。天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐によって江戸崎城は落城し土岐氏は滅亡した。
その後、佐竹義重の二男で蘆名家の家督を継いでいた蘆名盛重が江戸崎城で四万五千石を与えられたが、慶長7年(1603年)佐竹氏の秋田転封に伴い出羽国角館へ移った。
江戸崎城は現在の江戸崎小学校一帯で、南北に伸びた丘陵に築かれていたようである。 本丸は南の城山稲荷のある所で土塁が残るという。