寛永元年(1624年)戸沢政盛によって築かれた。 元和8年(1622年)山形の最上氏が改易となると、常陸国松岡より戸沢政盛が六万石で入封した。はじめ鮭延城を居城としていたが、新たに新庄城を築いて城下町を整備した。
築城にあたって縄張は義兄にあたる山形城主鳥居忠政が行ったという。 方形の本丸。南に二の丸。それを取り囲むように三の丸を配していたという。 築城当初は本丸に天守があったが、寛永13年(1636年)の火災で失われ、以後再建されていない。
明治元年(1868年)戊辰戦争で新庄藩は秋田佐竹氏と同じく奥州列藩同盟に加わらず新政府側に付いた為、庄内藩によって攻められ、新庄藩側は城を捨てて逃れ、城下は庄内藩によって焼かれ、城の大半も焼失したという。
現在は本丸と二の丸の一部が最上公園となっている。 本丸の東側に水堀が残り大手は東中央に開いている。大手の内側南よりに表御門の土台二基が残っている。