築城年代は定かではないが矢口内記氏広によって築かれたと云われる。
矢口氏は庄内の砂越氏の末裔で清水城主清水氏に客分として迎えられ、鮭延氏に備えて川口楯を預かったという。氏広の後、氏忠、氏益と三代にわたって居城とした。
川口楯は川口集落の南端にあり、鮭川に面して北東へ張り出した丘陵に築かれている。
南背後を二重の堀切で遮断して先端を城域とする。背後の堀切に面して土塁が付き、内部は北へ向かって長い曲輪となる。川に面した西側は土塁が途中から広がり土壇となる。東側も途中途切れ途切れではあるが、土塁が付いている。曲輪は北方でやや狭い通路のような造りがある。
東側の中腹には竪堀のように削り落とした地形で、腰曲輪を区画し南北に連ねている。
国道458号線を北上すると升形から川口に向かって降りる道が大きく蛇行している。これを降りきった城山の先端に倒れかかった案内板がある。最後のカーブ付近から見上げると堀切と竪堀がクッキリと見え、簡単に登ることができる。
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