詳細不明。京塚館主武田河内の出城、あるいは安倍貞任の親族安倍貞頼が居たとも伝えられる。
ミタケ館は荒沢川の北岸にあり、南へ張り出した尾根の先端頂部に築かれている。
案内板によれば、山頂の台地に堂宇跡や前方後円墳型の塚などがあり、山一帯が信仰の霊地であったという。
山頂部分には削平した小さな段と土塁状の土盛りが確認できる。しかし周囲の地形は緩傾斜で自然地形であることから城郭遺構とは思えない。南端部分は広く削平された台地になっており、草木は刈られているがただ広いだけである。
当初は山形県中世城館跡調査報告書をもとに「ミクラ館」を見に来たつものだったのだが、標柱には「ミタケ館」とある。縄張図にある地形も似ていた為、気にせず散策していたのだが、やはりミタケ館とミクラ館は別物のようである。山形県中世城館跡調査報告書の地図で「ミタケ館」と「ミクラ館」の位置が入れ替わっているのであれば、「ミクラ館」はこの館の北方500m程の所で西へ張り出した尾根に該当する。しかし、図面ではここの地形に似た南へ張り出した尾根を描く。しかも、概要を読むと荒沢集落の東方、「薬師長峰」と呼ばれた地にあるとあるので、まったく違う所にあるようだ。
県道35号線と県道308号線の交差点を東へ進み、北側を見ると案内板と標柱が見える。林道に入ってすぐの所から南端の台地上に登るつづら折りの道がある。
最寄り駅(直線距離)