出羽 鮭延城でわ さけのべじょう

城郭放浪記


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出羽 鮭延城の写真
掲載写真数
形態
丘城(110m/40m)
別 名
真鶴城,真室城
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀,井戸
城 主
鮭延氏(佐々木氏)
歴 史

築城年代は定かではないが佐々木綱村によって築かれたと云われる。 佐々木氏は近江源氏佐々木の一族と云われ、佐々木綱村のとき近江国より出羽国へ下向し、仙北の小野寺氏の客将となったという。

鮭延城の築城に関しては諸説あり定かではないが、佐々木氏は当初岩鼻館を居城としていた。しかし、庄内の大宝寺氏との戦いで敗れ、当時幼小であった秀綱は大宝寺氏に捕らわれて庄内へ連れ去られ、岩鼻館周辺の所領を失った。その後、佐々木氏は真室郷へ退き鮭延城を築き居城としたと云われる。

天正9年(1581年)鮭延秀綱のとき最上義光の攻撃を受けて降伏、その後は最上氏に従った。鮭延秀綱は以後、最上氏北方の拠点として小野寺氏などとの戦いで戦功を挙げた。

慶長5年(1600年)上杉景勝が最上領に侵攻した長谷堂城の戦いで、鮭延秀綱はその武勇を大いに知らしめ、重臣として一万一千五百石を領した。 しかし、元和8年(1622年)最上氏は改易となり、秀綱は下総国佐倉藩主土井利勝にお預けとなった。その後、秀綱は客分として五千石を領し、土井氏の古河転封にも従い天保3年(1646年)に没した。

その後、常陸国松岡より戸沢政盛が六万石を領して入封すると、当初は鮭延城を居城としたが、寛永元年(1624年)新たに新庄城を築いて移り廃城となった。

説 明

鮭延城は真室川東岸の川に面した台地の上に築かれている。 西は鮭延川、北と南には大きく谷間となり、南東のみ台地と繋がる地形になっており、この尾根を三重堀切で遮断することで台地と切り離している。その北側にはっきりとした形で三条の連続竪堀が残る。

現状台地の上はかなり広い平坦面があるが、所々土塁のような土盛りや段差があり、城内は複数の曲輪になっていた形跡が残る。虎口は北東に大手、南西に搦手があり、現在南西の搦め手側が城内へ続く道となっている。

案 内

県道35郷乱と県道321号線の丁字路の東側の山上が城跡。登り口は搦め手で、橋の東詰から東に線路を越えて内町へ入る細い道があり、入ってすぐの所に「鮭延城搦手門跡」の標識があり、そこから山上に整備された遊歩道が続く。しかし、この辺りには車を駐めるスペースはない。

最寄り駅(直線距離)
1.0km 羽前豊里駅
1.7km 真室川駅
6.5km 泉田駅
所在地/地図
山形県最上郡真室川町大字内町
付近の城(直線距離)
0.5km 出羽 内町陣城(南陣)
0.9km 出羽 内町陣城(北陣)
1.1km 出羽 オクミ館
2.3km 出羽 ミタケ館
2.6km 出羽 八幡館
2.8km 出羽 庭月館
2.9km 出羽 中ノ瀬館
3.1km 出羽 小十郎館
3.3km 出羽 玄蕃館
3.3km 出羽 京塚楯
3.7km 出羽 平岡館
4.6km 出羽 熊野楯
5.1km 出羽 宮田沢山上館
5.5km 出羽 野崎館
5.6km 出羽 源氏楯(鮭川村)
6.1km 出羽 八幡館
6.3km 出羽 内の沢館
6.3km 出羽 芦沢館
6.4km 出羽 砂子沢館
8.3km 出羽 川口楯
8.4km 出羽 姥館
8.7km 出羽 愛宕山館(金山町)
8.7km 出羽 平家館
8.9km 出羽 源治館(戸沢村)
最終訪問日
2012年5月
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