築城年代は定かではないか天正年間(1573年〜1592年)に鳥越九右衛門によって築かれたと云われる。
文明8年(1476年)に鳴沢兼義の次男満久が清水に居住し清水城を築いたとき、鳥越氏は鳥越・柏木山・梨ノ木を領有する条件の下に清水氏に従った。「清水大蔵大輔分限帳」では最高の禄高を給されている。
慶長19年(1614年)に清水城主清水義親が最上家親によって滅ぼされた後も最上氏に仕え、さらに元和8年(1622年)最上義俊の時にお家騒動となって改易となり、近江国大森に一万石、そして五千石の旗本となったときも最上氏に仕え、明治維新のときに鳥越準左衛門は八十五石を領していた。
鳥越館は新田川南岸にあり、鳥越八幡宮の背後にある標高181.2mの山頂に築かれている。現在八幡公園として北側は遊歩道が設置されている。
鳥越八幡神社は元禄4年(1691年)新庄藩主二代戸沢正誠による造営で、本殿と拝殿は国指定重要文化財となっている。
主郭は山頂にあり愛宕社が祀られている。この愛宕社周辺が一段小高くなっているが、その下の主郭部は南北に広い。参道があるので旧状は不明だが、愛宕社のある段は西に開口し、さらに下の段からは南西側に開口し通路が残る。
主郭の東背後は尾根続きとなる部分に多重の堀切を設けて遮断しており、そこから北側へ続く緩傾斜には連続竪堀が残る。
主郭部分の南北両端から西へ向かって伸びる尾根にも曲輪が広がる。北側の尾根は八幡公園の遊歩道があり、東屋のある尾根先との間に二重堀切が残る。南側は腰曲輪の先端にl字の土塁があり、その先西へ伸びる尾根を削平している。
鳥越八幡宮から遊歩道が付いている。近くの如法寺は鳥越氏の菩提寺である。
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