貞治元年(正平17年、1362年)に源次郎義高によって築かれたと云われる。 源義高は源義家の末裔で延文5年(正平15年、1360年)に轟に要害を構えたが、その2年後に猿羽根館を築いて移ったと云われる。
猿羽根氏は義高以降、義満、元安、義春、義尚、高春、義舜、光義と続いたが、光義が病死し、先代義舜は天正13年(1585年)最上義光に従わなかったことから長瀞にて切腹させられ猿羽根氏は滅亡した。
猿羽根館は富田集落の南東にあり、西へ伸びた尾根に築かれている。現在は町指定史跡として登山道が整備されている。
主郭部は東西に伸びた尾根上の曲輪群であるが、そこから北へ降る山腹部分にも大きな段曲輪が形成され、その中央を登って行く現在の登山道が大手筋のようで大規模な城である。
山上は堀切と一段低い鞍部で区画された大きく三つの曲輪があり、中央が主郭となる。主郭には城主御手植えと伝えられる親杉が残されており町の天然記念物に指定されている。主郭には一部土壇があり櫓台とも云われる。
主郭の東は二重堀切でその先に東曲輪がある。東曲輪には鉄塔が建っているが、その先に大きな堀切があり、堀切から北へは二重竪堀に変化して伸びている。
主郭の西に一段低い鞍部があり、その先に西曲輪がある。西曲輪は広大で大きく南北二段に分かれている。西端は急斜面であるが、そこから南へ伸びた尾根に二重堀切がある。
西を走る県道沿いに道標が出ている。そこを曲がって集落内を東へ進めば案内板があり、そこが登山道入口。車は住民の方にお願いして登山口脇の空き地に留めさせて頂いた。
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