南北朝時代に猿羽根氏2代義満が隠居城として築いたが、3代元安が病死して再び猿羽根館に移ったため廃城となったという。
手倉森館は最上川と小国川が合流する地点の南方に聳える標高120m程山に築かれている。
手倉森館は山上の遺構と北麓の遺構があると云われており、北麓の遺構は宅地及び畑となっている部分で山から北へ伸びた台地の先端に位置する。
山上の遺構は最上川に面した東側の山頂を曲輪とするように西側に土塁と切岸を設け、一部は横堀になっている。曲輪となるべき空間は自然地形の部分が多く、駐屯地のような役目を果たしていたのであろうか。
北麓から林道が山上に続いており、林道から離脱して東の山に向かえば城内に至る。
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