安貞2年(1228年)戸沢兼盛によって築かれたと云われる。 戸沢氏は兼盛の時に門屋城を築き小山田城より居城を移したという。
その後、親盛・克盛・勝盛・玄盛・英盛・氏盛・伊盛・行盛・豊盛・泰盛・家盛と続き、家盛の時に角館城へ移ったとされる、その後も支城として一門の門屋嘉兵衛尉の居城であった。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の命によって戸沢三十五城の一つとして廃城となった。
門屋城は桧木内川と西の又沢による河岸段丘の南東隅に築かれており、現在は県指定史跡として整備されている。
大空堀で区画した大規模な城で、主郭とその西にある西館は特に一辺100mほどもある大きなものである。現在は主郭に祀られた三嶽神社への参道が南東隅にあり、そこから登るとすぐに主郭となる。
主郭は北から西にからて大規模な堀を巡らせており、現在でも切岸は降りられないほど急峻で、雨後のためか堀底は一部沢となっていた。主郭の西側にある西館も同規模で北から西側にかけて土塁が巡り、その外側に同じく大空堀を設けている。
主郭から北へ進むと、中館、北の丸などの曲輪群があり、土塁と堀そして天然の沢などで区画されている。
登り口は三嶽神社の参道で鳥居があり、その脇に石碑と案内板が設置されている。南の端を渡った先に駐車可能である。
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