寛正2年(1461年)結城成朝によって築かれたと云われる。 応仁元年(1467年)頃に完成し成朝の嫡子秀千代が城主となり、後に海老原輝明(輝朝とも)を名乗ったと云う。
戦国時代には結城氏と小田氏の間で争奪戦が繰り広げられ、永禄12年(1569年)佐竹氏の勢力下におさまると、佐竹氏の家臣宍戸城主宍戸義利が入り海老ヶ島氏を名乗って城主となったが、関ヶ原合戦後に佐竹氏が秋田へ転封となると廃城となったといわれる。
城は大川の東岸に築かれ、西松原・東松原の集落一帯に築かれた平城であったという。現在は市街地に没しているが、土塁と堀の遺構が点在して残っている。