上野 高崎城こうずけ たかさきじょう

城郭放浪記


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上野 高崎城の写真
掲載写真数
形態
平城
別 名
和田城
文化財指定
市指定史跡
遺 構
櫓,門,土塁,郭,堀
城 主
和田氏,井伊直政,酒井家次,酒井忠勝,(戸田)松平康長,松平信吉,安藤重信,安藤重治,(大河内)松平輝貞,間部詮房,間部詮言,(大河内)松平輝貞
歴 史

高崎城の前身は和田城で正長元年(1428年)和田義信によって築かれた。 和田氏は関東管領上杉氏に従って永享の乱に従軍した。

戦国時代には上杉政虎、後に武田信玄に属し、長篠合戦にも従軍したが武田氏滅亡後は小田原北条氏に属した。天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で和田信業は小田原城に籠城したが、この時和田城も落城、小田原城も開城となり、信業は紀伊国へ逃れたと云う。

高崎城は慶長3年(1599年)和田城跡に新たに井伊直政によって築かれた。 小田原の役の後に関東に入部した徳川家康は、はじめ井伊直政を箕輪城に置いたが、後に和田城跡に新たに縄張した新城を築かせた。 直政はここを高崎と命名するが慶長5年(1600年)関ヶ原合戦後に近江国佐和山に転封となった。

以後目まぐるしく城主が入れ替わる。
和暦(西暦) 事象
慶長5年(1600年) 井伊直政は近江国佐和山に転封。
慶長9年(1604年) 下総国臼井より酒井家次が五万石で入封。
元和2年(1616年) 酒井忠勝は越後国高田に転封。 替わって常陸国笠間より(戸田)松平康長が二万石で入封。
元和3年(1617年) (戸田)松平康長は信濃国松本に転封。替わって常陸国土浦より(藤井)松平信吉が五万石で入封。
元和5年(1619年) (藤井)松平信吉は丹波国篠山に転封。替わって下総国小見川より安藤重信が五万六千五百石で入封。
元禄8年(1695年) 安藤重治は備中国松山へ転封。替わって下野国壬生より(大河内)松平輝貞が五万二千石で入封。
宝永7年(1710年) (大河内)松平輝貞は越後国村上に転封。替わって相模国より間部詮房が五万石で入封。
享保2年(1717年) 間宮詮言は越後国村上へ転封。替わって越後国村上より(大河内)松平輝貞が七万二千石で入封。以降代々続いて明治に至る。

説 明

高崎城は烏川を背にした平地に築かれており、現在は市の中心として市役所や城址公園などとなっている。

高崎城は市街地に残る平城としては珍しく本丸や二の丸といった中心部の遺構は殆ど残されておらず、逆にその周囲を取り囲んでいた三の丸の土塁と水堀が良好に残っており、これは地図を見ても一目瞭然である。

本丸には天守はなく三階御櫓があり、大手の東虎口は枡形と馬出しになっていた。本丸の外側に二の丸や西の丸が巡り、さらに外側を三の丸が巡る縄張りで、東の中央に大手門があり、ここには現在二重の乾櫓と東門が再移築されて現存している。

また図書館の前には発掘調査で出土した石組水路と石樋が展示されている。

市の中心で外郭の遺構が良好に残り、移築されていたとはいえ櫓や門が現存するわりに全くアピールされておらず、そのような建物があることすら観光者用の地図に記載されていないほどである。

乾櫓の写真

乾櫓(移築 櫓)


所在地: 群馬県高崎市高松町

東門の写真

東門(移築 城門)


所在地: 群馬県高崎市高松町

案 内

有料駐車場は多数ある。市役所の南に高崎公園がありここには無料駐車場がある。

最寄り駅(直線距離)
0.7km 高崎駅
0.8km 高崎駅
1.5km 南高崎駅
1.7km 北高崎駅
2.7km 高崎問屋町駅
所在地/地図
群馬県高崎市高松町
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
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最終訪問日
2017年11月
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