常陸 土浦城ひたち つちうらじょう

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (常陸国/茨城県) > 土浦城
Tweet
常陸 土浦城の写真
掲載写真数
形態
平城
別 名
なし
文化財指定
県指定史跡
遺 構
櫓,城門,土塁,曲輪,横堀
城 主
若泉氏,菅谷氏,(藤井)松平氏,西尾氏,朽木氏,土屋氏,(大河内)松平氏,土屋氏
歴 史

築城年代は定かではないが永享年間(1429年〜1441年)に(今泉)若泉三郎によって築かれたと云われる。また、平安時代に平将門によって砦が築かれたとの伝承も残る。

永正13年(1516年)若泉五郎左衛門が城主の時、小田氏の家臣菅谷勝貞によって攻められ、この後は小田氏の家臣菅谷氏の居城となった。

小田氏は小田氏治の頃、佐竹氏に小田城を奪われ、土浦城へ逃れて勢力の回復をはかるが、天正11年(1583年)佐竹氏の軍門に降った。

天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の後に関東に入部した徳川家康は、結城城に結城秀康を置き土浦を支配させた。慶長6年(1601年)結城秀康は越前国北庄に転封となった。

・慶長6年(1601年)下総国布川より(藤井)松平信一が三万五千石で入封、元和3年(1617年)信吉の時、上野国高崎へ転封。
・元和4年(1618年)上野国白井より西尾忠永が二万石で入封、慶安2年(1649年)忠昭の時、駿河国田中へ転封。
・慶安2年(1649年)下野国鹿沼より朽木稙綱が三万石で入封、寛文9年(1669年)稙昌の時、丹波国福知山へ転封。
・寛文9年(1669年)一万石で諸侯に列した土屋数直が入封、その後四万五千石まで加増、天和元年(1681年)政直の時、駿河国田中へ転封。
・天和2年(1682年)武蔵国より(大河内)松平信興が二万二千石で入封、貞享4年(1687年)大坂城代として転封。
・貞享4年(1687年)駿河国田中より土屋政直が六万五千石で入封、その後九万五千石まで加増され以後明治に至る。

説 明

土浦城は現在亀城公園として整備されている。

本丸、二の丸は他の近世城郭、特に平城と比べると小規模な印象を受ける。しかし三の丸や周辺に拡がる曲輪群は広大である。

公園外の遺構としては北にある浄真寺の土塁が残りが良く、神龍寺にも土塁が残っているが墓地に埋もれている。

南門は角馬出で大町交差点のあたりあった。その東側にある東光寺に南門の土塁が残る。北門は新川の近くで石碑のみであるが、この門は枠曲した馬出であった。大手門、搦手門も石碑が建てられている。

案 内

北の土浦市立博物館のあたりに駐車場がある。

最寄り駅(直線距離)
1.0km 土浦駅
6.0km 神立駅
6.7km 荒川沖駅
7.9km つくば駅
9.2km ひたち野うしく駅
所在地/地図
茨城県土浦市中央1(亀城公園)
付近の城(直線距離)
1.7km 常陸 木田余城
1.8km 常陸 常名城
4.4km 常陸 立の越館
5.7km 常陸 花室城
5.8km 常陸 藤沢城
6.2km 常陸 金田城
6.8km 常陸 戸崎城
7.2km 常陸 笠松城
7.8km 常陸 永井城
8.5km 常陸 甲山城
8.9km 常陸 島津城
9.0km 常陸 上条城
10.0km 常陸 塙城(北郭)
最終訪問日
2023年1月
TOP > > (常陸国/茨城県) > 土浦城