常陸 小田城ひたち おだじょう

城郭放浪記


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常陸 小田城の写真
掲載写真数
形態
平城
別 名
なし
文化財指定
国指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
小田氏
歴 史

築城年代は定かではないが鎌倉時代末期に八田知家によって築かれたと云われる。 八田氏は常陸国久慈郡八田発祥で宇都宮宗綱の子知家が八田氏を名乗ったことに始まるが、八田知家は小田氏の祖となり、小田城は小田氏累代の居城となった。

南北朝時代の城主は小田治久で、暦応元年・延元3年(1338年)北畠親房は吉野から海路常陸国へ入り神宮寺城に籠ったが、佐竹氏に追われ、阿波崎城に逃れるも再び佐竹氏に追われ小田城に入った。

暦応4年・興国2年(1341年)足利尊氏が派遣した高師冬は小田城を攻めたてるが容易に落城しなかった。しかし、小田治久は高師冬の和平交渉に応じて小田城を開城し、北畠親房は関城へ逃れた。

戦国時代末期の城主小田氏治は、拡大する小田原北条氏と越後上杉氏、またそれに対抗する佐竹・多賀谷・結城などの狭間にたたされ、幾度と無く小田城を奪われては、土浦城へ退き、また小田城を奪い返しては奪われることを繰り返していた。永禄12年(1569年)手這坂の合戦で大敗を喫し、さらに真壁軍に小田城へ先回りされ奪われた為、氏治は土浦城へ退き、以後小田城へ帰参することはなかった。

説 明

小田城は国指定史跡となり、近年復元工事が完成して公園として整備された。かつては本丸を分断するように筑波鉄道が通っていたが、現在はその一部がサイクリング道路となっている。

パンフレットによれば、本丸は方形で北、東、南西部に虎口があり、南西部は木橋でその南側は角馬出であったようだ。 また、発掘調査によって障子堀が検出された。

案 内

近年復元工事が完成し駐車場も整備された。

最寄り駅(直線距離)
7.5km つくば駅
8.0km 研究学園駅
所在地/地図
茨城県つくば市小田
付近の城(直線距離)
4.1km 常陸 多気山城
4.5km 常陸 水守城
5.0km 常陸 藤沢城
5.2km 常陸 甲山城
5.8km 常陸 金田城
7.0km 常陸 長峰城
7.1km 常陸 永井城
7.1km 常陸 花室城
8.9km 常陸 常名城
8.9km 常陸 大坪館
9.1km 常陸 大祥寺城
9.1km 常陸 栗崎城
9.2km 常陸 館宿城
9.4km 常陸 笠根城
9.7km 常陸 諏訪山砦
9.9km 常陸 笠松城
最終訪問日
2018年11月
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