常陸 藤沢城ひたち ふじさわじょう
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築城年代は定かではない。 小田氏の小田城の支城であったようで、戦国末期の小田氏治は小田城を度々落とされ、この藤沢城を拠点に小田城を奪還したとされる。
城は藤沢集落一帯に築かれていたが、大半は住宅地となっている。
集落を南北に走る県道201号線の西側に「城内」とされる地があるが、内部は畑となっているものの土塁が残っている。県道の東側の極楽寺跡付近にも土塁が残っている。
時間が無く今回は確認できなかったが、集落の北側にある精泉寺から遍照寺にかけて東西に空堀跡が散在しているという。