築城年代は定かでいないが佐谷氏によって築かれたと云われる。 佐谷氏は常陸大掾氏の一族で左衛門尉実幹が佐谷郷を領して佐谷氏を称した事に始まる。
慶長7年(1602年)佐竹氏が出羽国秋田へ転封となり、変わって出羽国本堂より本堂茂親が八千五百石で入封し交代寄合の旗本となった。このとき笠松城と称したようである。本堂氏は後に志筑陣屋を築いて移った。
笠松城は七会小学校の北、東へ伸びた台地の先端に築かれていた。
民家へ登る道の入口に笠松城の道標があり、登った先に案内板がある。城跡は現在太陽光発電などが設置されているが、一部に土塁が残されている。