常陸 府中城ひたち ふちゅうじょう

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (常陸国/茨城県) > 府中城
Tweet
常陸 府中城の写真
掲載写真数
形態
平城
別 名
府中陣屋
文化財指定
市指定史跡
遺 構
門,土塁,堀
城 主
大掾氏,佐竹義尚,六郷政乗,皆川広照,皆川隆庸,皆川成郷,松平頼隆,松平頼如,松平頼明,松平頼永,松平頼幸,松平頼済,松平頼前,松平頼説,松平頼縄,松平頼策
歴 史

貞和2年・正平元年(1346年)大掾詮国によって築かれたと云われる。 大掾氏は桓武平氏・平良望が常陸国大掾となって下向したことによって始まり、職名から大掾氏と呼ばれるようになった。

代々大掾氏の居城であったが、天正18年(1590年)佐竹義宣によって攻略され、大掾清幹は自刃した。その後、佐竹義尚が城主となったが、慶長7年(1602年)佐竹氏が出羽国久保田へ転封となる。

和暦(西暦) 事象
慶長7年(1602年) 出羽国六郷より六郷政乗が一万石で入封。
元和9年(1623年) 六郷政乗は出羽国本庄へ転封。
信濃国飯山藩主で改易となっていた皆川広照が一万石で大名に復し入封。
寛永2年(1625年) 皆川隆庸は父広照の隠居にともない、自身の所領五千石と併せて一万五千石、この内千石を弟の宗富に分知して一万四千石となる。
寛永8年(1631年) 皆川隆庸は大番頭となり近江国浅井郡内に四千石を加増され、一万八千石となる。
正保2年(1645年) 皆川隆庸が没し嫡男皆川成郷が家督を相続。弟秀隆に五千石を分知し一万三千石となるが、その後わずか一ヶ月後に嗣子なく没して除封。弟秀隆の家系は旗本として存続している。
元禄13年(1700年) 水戸藩主徳川頼房の五男松平頼隆は兄徳川光圀から保内郷二万石を領していたが、五代将軍徳川家綱より陸奥国長沼と常陸国府中にて二万石を与えられ、保内郷二万石を宗家に返却し、二万石の大名となって府中陣屋を築いた。その後、十代頼策まで続いて明治に至る。

説 明

陣屋跡は石岡小学校および公民館となっているが、土塁と空堀の一部が残っている。また、陣屋門が移築現存している。

大掾氏の墓所が平福寺(茨城県石岡市国府5)(地図)にある。

陣屋門の写真

陣屋門(移築 城門)


所在地: 石岡小学校(茨城県石岡市総社1)
文政11(1828年)建立
県指定有形文化財

案 内
最寄り駅(直線距離)
1.0km 石岡駅
2.2km 石岡南台駅
3.3km 東田中駅
3.7km 高浜駅
4.3km 玉里駅
所在地/地図
茨城県石岡市総社1(石岡小学校)
付近の城(直線距離)
1.3km 常陸 石岡城
3.1km 常陸 志筑城
3.2km 常陸 中根長者屋敷
3.9km 常陸 根当要害
4.3km 常陸 三村城
4.4km 常陸 竹原城
4.6km 常陸 志筑権現山城
6.1km 常陸 片野城
6.4km 常陸 笠松城
6.5km 常陸 小井戸要害
6.6km 常陸 飯塚城
7.0km 常陸 宮田館
7.2km 常陸 宮田館出城
7.5km 常陸 取手山館
7.8km 常陸 鶴田城
7.8km 常陸 片岡館
8.1km 常陸 永井城
8.2km 常陸 小川城
8.8km 常陸 柿岡城
8.9km 常陸 愛宕館
9.3km 常陸 高友古塁
9.4km 常陸 堅倉砦
9.8km 常陸 甲山城
9.9km 常陸 宍倉城
最終訪問日
2012年5月
TOP > > (常陸国/茨城県) > 府中城