築城年代は定かではない。永享年間(1429年〜1441年)には野田遠江守が居城としていた。
文亀年間(1501年〜1504年)には菅谷隠岐守貞次の居城で、小田氏の有力な家臣として出島半島の半分を領有していたという。
天正元年(1573年)佐竹義重によって攻められると菅谷氏は佐竹氏に降り、その後は佐竹の家臣となった。文禄4年(1602年)佐竹の家臣大山田刑部が宍倉城主となったが、慶長7年(1602年)佐竹氏の秋田転封によって廃城となった。
宍倉城は霞ヶ浦と菱木川との間にある台地の上に築かれている。
本丸は一部が畑となり、その一角に城之内稲荷が祀られているが、周囲には大きな空堀が残っている。その東側も曲輪で南から東にかけてl字の空堀が残る。
東の県道118号線沿いに本丸入口の道標がある。周囲に駐車場はない。
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