築城年代は定かではないが応仁年間(1467年〜1469年)の頃に戸崎氏によって築かれたと云われる。
戸崎氏は小田氏の家臣として続き、天正元年(1573年)戸崎大膳長俊のときに佐竹氏の攻撃を受けて落城したという。しかし史料として戸崎城主として出てくるのは宍倉城と同じく菅谷氏で、永禄7年(1564年)年頃は菅谷次郎左衛門などである。
落城後は文禄4年(1595年)には佐竹氏の家臣飯塚兵部少輔が城主であったが、佐竹氏の秋田転封に際して廃城となった。
戸崎城は霞ヶ浦の流れる川尻川の西岸にある台地に築かれている。
台地の北端が本丸とされ南に空堀が残り畑となった曲輪が残っている。 南側一帯にも曲輪が連なり複郭であったようだが現在は宅地や畑となっている。
戸崎集落にある松学寺を目指す。このお寺の東側の台地の中腹に「大前集落センター」があり、この上に案内板が建っている。
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