掲載写真数
形態
山城(233m/145m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
石垣,土塁,郭,堀,井戸
城 主
佐保時綱,礒野員昌,石田三成
歴 史
築城年代は定かではないが、佐々木定綱の六男佐保時綱が麓に屋敷を構え砦を築いたのが始まりと云われる。
六角氏と京極氏の争いでは境目に位置する佐和山城が標的となり、京極氏に替って勢力を伸ばした
小谷城の浅井氏が奪うと、磯野員昌を城主とする。
織田信長が越前朝倉氏を攻ると、浅井氏は朝倉氏と結び、織田氏と敵対する。
危機を脱した織田信長は粘り強く佐和山城を攻め、天正10年(1582年)礒野員昌は降伏し城を明け渡した。
信長が本能寺の変で没すると、明智光秀を討った羽柴秀吉の所有となり、後に石田三成が城主となる。
石田三成が関ヶ原合戦で破れると井伊直政が入封するが、後に
彦根城を築き廃城となった。
説 明
佐和山城は彦根城の東に聳える標高232.5mの佐和山山頂に築かれている。
山頂の本丸を中心に北に西の丸、南に太鼓丸と法華丸、北東に二の丸、三の丸があった。このうち二の丸・三の丸の辺りはまだ藪の中に埋もれている。本丸は南東側に石が二つ重なった隅石垣、南斜面にも石垣がある。周囲は藪になっているので、まだ石垣などが残っているのではないかと思う。
佐和山の大手は東麓で、土塁に囲まれた空間があり、大手門跡とされる土塁の開口部がある。ここからの登城路は太鼓丸へと続いている。
案 内
北西麓の龍潭寺から整備された登山道があり、駐車場も完備している(地図)。
最寄り駅(直線距離)
1.0km 彦根駅
1.1km 彦根駅
1.3km 鳥居本駅
2.1km ひこね芹川駅
2.2km フジテック前駅
所在地/地図
最終訪問日
2016年4月