築城年代は定かではない。松原氏の居城であった。
天文7年(1538年)佐和山城を攻略した六角定頼が磯山を陣所として利用した。また元亀2年(1571年)には織田軍が佐和山城を攻めたときに陣城を構えた。
永禄4年(1561年)磯野員昌が佐和山城へ移っているが、その前に居城としてたのが磯山城であった。
磯山城は琵琶湖に面して南北に長く続く独立丘陵である磯山に築かれており、現在は遊歩道が整備されている。
磯山城は三角点のある北峰のピークを「虎ヶ城」と呼び、南端ピークを「南城」と呼んで山全体が城域とされている。尾根上には平坦面の造成や段曲輪状の削平が認められる。明瞭な堀切はないが、北城から少し南へ下った辺りに東側に二重竪堀状の遺構がある。
北西麓の磯崎神社から遊歩道があるが、駐車場がないのでどこかに駐めてくる必要がある。
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