天文13年(1544年)今井氏によって築かれたと云われる。
京極氏の被官であった今井氏であったが、六角氏に内通したことから今井秀俊は自刃し、子の尺夜叉丸は追われ六角氏を頼って落ちていった。元服して権六定清と名乗った尺夜叉丸は旧領の回復を計るため、天文13年堀氏の鎌刃城に対して摺鉢山と菖蒲嶽に砦を築いたという。
菖蒲嶽城は彦根市と米原市の境にあり、摺鉢峠の北東に聳える標高295.0mの山に築かれている。
菖蒲嶽城は三角点のある標高295.0mの城に築かれた東城と、西の峰に築かれた西城の二つで構成されいる。至近距離にある二つの曲輪群を繋ぐ部分には鉄塔が建っているのもの、その周囲は自然地形である。
東城は南西尾根に二条の堀切で遮断する。南端が土塁となってl字に曲がる溝が南へ開口しており虎口とされるが、曲輪の規模に反して異様に広い。
西城は南東尾根に浅い堀切で遮断し、主郭部は削平が甘く、腰曲輪のような緩斜面もある。
摺鉢峠から東へ進むと高速道路が見え分岐点がある。この部分から北へ登る鉄塔整備道の入口があり、これを使えば城域に入ることができる。
最寄り駅(直線距離)