築城年代は定かではない。城主は久徳氏であった。
永禄3年(1560年)浅井氏によって攻められ久徳城は落城し、城主であった久徳実時をはじめ二百余名が討死したという。
元亀元年(1570年)久徳左近兵衛は織田信長に降り、堀秀村や羽柴秀吉の配下となった。本能寺の変では明智光秀に与して改易となったが、後に秀吉から三千石の旧領が与えられたという。
久徳城は現在の市杵島姫神社の境内地に築かれていた。遺構の残存は良くないが、境内の北側に堀跡と考えられる水路とそれに面した土塁がわずかに残る。
鳥居脇には大きな石碑がある。
駐車場はない。
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