築城年代は定かではないが永正年間(1504年〜1521年)赤田隆によって築かれたと云われる。 赤田氏は渡辺綱の末裔といい、越後国赤田荘の地頭であったが、赤田備のとき近江国へきて、栄のとき多賀町曽我に住み、隆のとき八町へ住んだという。
永禄11年(1568年)赤田興は浅井氏に属して六角氏と戦ったが討死し、姉川の合戦では赤田姓が浅井氏に属して戦ったが、浅井氏が滅亡すると赤田氏も衰退し、姓の子赤田堅は一時期浪人となったが、天正12年に豊臣秀吉に召し抱えられ五千石を領したという。
現在の常善寺、白山神社一帯が城址で、常善寺の山門の前に石碑がある。遺構は常善寺と白山神社の間に土塁と堀が残っている。