近江 島川城(北殿城)おうみ しまがわじょう
△トップに戻る
明応4年(1495年)美濃土岐氏で家督相続にともなう内訌が起こると、近江でも六角氏と京極氏の争いが起こった。このとき六角氏の重臣伊庭貞隆が島川城に入って美濃への進軍の士を召集した。
その後は矢守壱岐守、喜多川弥介が在城したという。
島川城は南北2つの城の総称で北殿城と南殿城と呼ばれていた。
島川城(北殿城)は小字「城屋敷」にあり、現在の八木荘保育園の南側公園のあたりで土塁の一部が残っているらしいが未確認。公園の隅に石碑がある。
南殿城は小字「古川」で秦荘西小学校のあたりにあった。