築城年代は定かではないが鯰江氏によって築かれた。 鯰江氏は三井乗定の養子となった六角高久が鯰江氏を名乗ったのが始まりで戦国時代には観音寺城の佐々木六角氏に仕えた。
六角氏が織田信長によって滅ぼされると六角義治父子を迎えて織田信長に抵抗したが天正元年(1573年)落城した。
鯰江城は愛知川による河岸段丘の南端に築かれていた。現在の鯰江町の集落がほぼ城域であり、ほぼ宅地化されていて遺構は土塁や堀跡がわずかに確認できる程度である。
県道沿いから鯰江集落に登る道の脇に石碑や古い案内板があるが、新しい案内板は専修院の北にある鯰江町自治会館の所にある。簡単に確認できる遺構は専修院の北側、公園と境目で、ここが内堀跡となり、南側に土塁が残っている。
鯰江町自治会館に案内板があり駐車可能。
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